【ママ友小説】ママ友と友達の境界線~突然離れていったママ友

結婚して田舎から都会に引っ越してきた私。

初めての子育てに奮闘しながら数年が経ち、都会の生活にも子育てにも慣れてきた頃、息子が幼稚園に入園することになった。
近所の幼稚園で通うのも便利だったし、幼稚園の方針も自由な感じで息子に合っていると思い入園を決め、桜が咲くころ入園式を迎えた。




入園時、子供同士はみんな同じ年。でもママ達は年齢層が広く、話しかけやすい人ばかりではなく、ちょっと近づきにくい人もいた。

入園する前、「ママ友とのトラブル」なんていう話を聞いたことがありとても不安だったけど、すぐにできたママ友は若くて可愛い明るい子。名前は「マコ」。

マコは私よりすごく年下で、いわゆる『ギャルママ』。
他のママは年齢層が結構高かったから、マコはとても目立つ存在だった。

私自身もそんな若い子と話が合うか不安だったところもあり、最初は話しかけることができなかったけど、毎日登園の時に話すうちに仲良くなり、いつの間にか、どのママよりも仲良くなっていた。
私の子供もマコの子供も男の子同士でとても気が合い、幼稚園でいつも一緒に遊んでいた。

そして、お互い息子の下に同い年の娘もいた。
ママ同士、息子同士、娘同士みんな仲良くなったこともあって、私とマコは気が付けば『ママ友』を越えて『友達』になっていた。

出典:写真AC

 

お互いの家が近所だということもあり、幼稚園が終わってから、そのままお互いの家に遊びに行くことが増えた。
どちらかの家に行き、子供たちはおやつを食べたり自由に遊んだりして過ごし、私とマコはお茶を飲みながらおしゃべりをする。それがとても楽しかった。

もちろん子供同士喧嘩もたくさんした。
どちらかが泣いてしまうような喧嘩もあったけど、仲直りしてさらに仲が深まっていくようないい関係を築いていた。
ただ、マコとは子供の教育方針が違っているところがあり、私はそこだけがちょっとひっかかっていた。

例えば、マコは子供をすごく甘やかして育てていた。
赤ちゃんの頃からおしゃぶりをさせていたようだが、幼稚園に入ってもそれはやめられずマコ自身もやめさせるわけでもなくそのままにしていた。
幼稚園に行くときには外していたが、登園時も降園後もいつでもおしゃぶりをさせていた。

それに違和感を持つママも多かった。でも、誰も面と向かって言うこともできずにいた。
哺乳瓶や母乳、おしゃぶりをやめさせる時、なかなかやめさせられないということがあるというのも知っているが、さすがに幼稚園に行く年になってもやめられない、というかやめさせないというのには私もちょっと驚いた。
でも、それはマコの家の方針だから私もあえて何も言わずにいたけれど……。

そんな気持ちが顔にでてしまったことがあったかも知れない。



きっとマコも私の教育方針に口を挟みたかったと思う。
私は、マコとは正反対で子供に厳しかった。悪いことをすればきつく叱ったし、手をあげそうになることもあった。

それは家でも人前でも変わらずにやっていたから、マコは私のこと『厳しすぎる』とか『やりすぎ』とか思っていたんじゃないかなと思う。でもマコもそれを私に言うことはなかった。
教育方針が自分と違うのは当たり前だし、それについてとやかく言うのは違うという暗黙の了解のようなものがあったから。

でも、私がマコの子供をきつめに叱った時があり、その時はマコもちょっと嫌な顔をしていた。
もしかしたらマコはすごく嫌だったかもしれない。それでも悪いことをした子供を叱らないなんてことは私にはできなかった。
誰の子供であっても悪いことは悪いときちんと教えてあげるのが大人の役目だと思っていたから。

それをマコに正直に話したら、マコも「そうだね」と納得していた。私とマコは
「お互いの子供を叱ったり褒めたりして一緒に育てていけるような関係でいたいね」
と、話していた。

もちろんお互いに不満に思うこともたくさんあったと思う。
でもその辺のことをのぞけば気兼ねなく話せる相手だったし、いろんな悩みとかも話せる、本当に気の許せる友達……だった。

そう。あの日までは……。

出典:写真AC

 

入園してから2年が経ち、子供たちは年長になった。
私とマコの関係も変わらずに続き、誕生日やクリスマスなどのイベントも、パーティーを開き一緒に過ごすようになっていた。
このまま、小学校に行くようになってもずっと変わらずにいられると思っていた矢先の出来事だった。

ある日突然、マコの態度が一変した。

登園時に話しかけても軽くかわされ、家に行くことも用事があると言って断るようになっていた。
何が原因なのか全くわからなかった。喧嘩したわけでもなく、何か避けられるような出来事があったわけでもない。
でもマコは確実に私から離れていった。

幼稚園で会うけど話しかけてくれることもない。目があってもそらされる。話しかけても聞こえないふりをして避けられる。そんな日々が続いた。
私は他のママ友に何か知らないか聞いてみたけどわかる人はいなかった。

私が何か気に障ることを言ったのだろうか?
何か悪いことをしたのだろうか?

そんなことばかりを考え思い悩んでいた。
それでも思いつくことは何もなく、どうしていいかわからなかった。

その間もマコと面と向かって話すことができず、距離は徐々に深まっていった。

そして卒園式を迎えた。

幼稚園最後だし、思い切ってマコに全てを聞いてみようと決心したけど、マコの姿を見つけて近づくとマコは私のことを避けるようにいなくなり、結局話すことはできなかった。そして、マコは卒園と同時に引っ越していった。
それから連絡をとることもなくなり、今どこでどうしてるのかさえわからない。

マコと私の間に何があったのか?
マコが私から離れていった理由……それは一体なんだったのか?今でもわからない。

あれから数年が経つのに、今でも忘れられないのはなぜだろう?
ただの『ママ友』だったはずなのに。マコのこと、マコと過ごした数年がずっと忘れられずにいる。

あんな別れ方をしたせいなのだろうか?
ずっと仲良しのまま別れていたら違っていたのかもしれない。
しつこいと思われてもマコと話をすればよかったのかも知れない。

もういまさら何を言っても遅いけれど、マコが抱えていた不満をきちんと聞いておけば私とマコの関係は今でも続いていたのかもしれない。

出典:写真AC

 

『ママ友とはある一定の距離を保たなければいけない』
という言葉を聞いたことがある。

それを聞いたときは、そんなの変だと思っていた。なぜママ友と距離をとって付き合う必要があるのかわからなかった。ママ友は友達なのだから、深く付き合えるようになったほうがいいと思っていたから。
でもマコと離れてから、その意味が少しだけわかった気がした。

私とマコは近すぎたのかもしれない。
近すぎて壊れてしまった気がする。接する距離は近かったのに、心の距離は離れたままだった。
だから思うことがあってもお互い遠慮して言えずにいた。
それなのに近い距離にいたからバランスが崩れて壊れてしまったのだと思う。

それでも私はマコとはずっと友達でいたかった。
ただの『幼稚園のママ友』という限られた関係ではなく、『友達』でいたかった。そう思っていたのは私だけかもしれない。マコにとって私はただの『ママ友』だったのかもしれない。

いつかまたどこかで会うことがあったら、私はマコに何て言うのか考えてみたけど、何も思い浮かばなかった。
謝るというのも変な話だし、いまさら昔のことを聞いてもどうしようもない。

じゃあこのまま忘れるのが一番いいのか?と思うけどそれも違う気がする。
でもマコと過ごした日々は楽しかった。それは事実。その思い出を消すことなんてできない。

だから私はこれからもずっとマコとの出来事を引きずっていくことになる。

『ママ友』と『友達』の境界線……。それは本当にある。
その境界線を間違うと後悔することになる。これが『ママ友トラブル』といわれる由縁なのかもしれない。

ライター ユーア
息子2人娘1人3人の母です。



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