
~ 冬の終わりの寒いある日、3歳の息子カナトと児童館へ向かうハルカ。
そこでは新たな出会いが待っていた。 ~
カナトの歩く速度に合わせながら、冬らしい青空に目を移しては、前から後ろから来る自転車に注意を払い、一歩ずつゆっくりと歩を進める。
せっかちなハルカと違って、パパに似て慎重な性格のカナトでも、道端で気になるものを見つけると、不意に繋いでいた手を離してしまうことがある。
子どもは興味の対象には脇目も振らず突進していくものだから、親はそのたびにヒヤッとさせられる。
幸いなことに、カナトは今まで危険な場面に遭遇したことはないけれど、もし今自転車が来ていたら…とか、車が曲がって来たら…とか、ゾッとするような想像をハルカはいつもしてしまう。
その想像は例えば、道行く親子が決して近いとは言えない距離を開けて歩いているのを見掛けた時にもしてしまう。
特にそれが、カナトと同じくらいだろうと思われる年恰好の子どもだったりすると尚更だ。
しかも子どもは、言葉にならない言葉を吐きながら泣きじゃくっていて、お母さんは重そうな荷物を持って眉間にシワを寄せてズンズン先を歩いている。
出典:ぱくたそ
きっと、抱っこをせがまれたものの荷物が重くて抱っこできないから自分で歩いてほしい、でもそれを子どもに伝えたら嫌がって駄々をこねている、そんなところだろう。
でも、そんな状況を見てその子どもが心配になっても、ハルカの中で同情の比率が大きいのはお母さんの方だったりする。
理由はどうあれ、子どもがグズる何種類かのパターンを、きっとどのお母さんも知っているから……。他のお母さんがイライラしていると、その気持ちが手に取るようにわかってしまう。
そしてなぜか、人の子だとそうやってグズっていても優しい気持ちで見られるのだ。
(不思議だなぁ)
ハルカがボンヤリとした言葉を心の中で呟いた時、ちょうど児童館の前に辿り着いた。
入り口の自動ドアが開いて玄関に足を踏み入れると、児童館独特の匂いが鼻を刺激した。
この匂いを嗅ぐと、ハルカは高校時代に入っていた演劇部で倉庫として使っていた部屋を思い出す。
“香りで思い出す”と言えば聞こえはいいけれど、香りと言うには程遠い匂いだ。
でも、何となく若さを感じさせる匂いでもある。
ハルカとカナトは、脱いだ靴を靴箱に並べて入れ、スタッフのいる受け付けの前で軽く挨拶をして中へ入った。
3歳のカナトはまだ乳幼児向けの部屋。
いつ行っても利用者が少ない児童館だけど、騒がしいのが苦手なハルカにとってはその方が、居心地が良い。
ハルカ自身が児童館で遊んでいた記憶があるのは小学生の頃なのだけど、当時はもっと子どもがたくさんいたように思う。
昔より子どもが減っているという現実を、こういうところで実感するのだった。
こぢんまりとした乳幼児の部屋に入ると、男の子の親子が1組だけ遊んでいた。
ママの方は、ハルカの周りにはあまりはいないタイプの、ちょっと派手な風貌。
薄い黄色のダボっとしたトレーナーに、大きな花柄がいくつもプリントされた染め布のようなパンツを履いている。
唇には発色の良いピンクのリップが塗られ、耳には大ぶりのリングピアス、ピンクがかった髪は頭のてっぺんでお団子になっている。
(私も昔はエスニック風の格好、好きでよくしてたなぁ)
と、30代も後半の今はファッションも路線変更したハルカは懐かしく思った。
出典:写真AC
彼女の子どもは、様々な路線の電車のイラストが描いてあるトレーナーを着ている。
服も電車なら、遊んでいるおもちゃも電車。
電車好きなカナトは、さっきからその子のトレーナーをチラチラ見ながらブロックのおもちゃで遊んでいる。
最近電車の名前を色々覚えてきているから、気になって仕方がないのだろう。
ハルカはハルカで、その派手なママの方をチラチラ見ながらカナトを遊ばせている。
彼女は、自分の子どもを遊ばせている横で足を伸ばし、軽いストレッチをしていた。
(ダンサーかな?)
ハルカは直感的にそう思った。
風貌といい、彼女の醸し出す雰囲気といい。
ハルカは、今は家事育児に忙しい身だけれど、カナトが生まれるまではずっとピアノの弾き語りをするミュージシャンとして活動していた。
と言っても、名の知れた存在では無いのだけれど。
だから、同じミュージシャンやダンサーや、主に“アーティスト”と呼ばれる人にはとても敏感で、彼女に対してもそのアンテナがしっかり反応しているのが自分でわかった。
そして彼女の子どもに呼び掛ける声はハスキーでカッコイイ。
彼女のスタイルからして全く違和感無くハマるその声は、高くも低くもない声を持つハルカには憧れの対象だ。
同じ空間に飛び込んですぐにもハルカにとって気になる存在となった彼女は、はっきりとした顔立ちが気の強さを感じさせるが、子どもへ向ける笑みは母そのものだった。
(話してみたい)
ハルカは漠然と思う。
お互いの子どもたちも、特に歩み寄るでもなくそれぞれに遊んでいたのだけど、気づけばそろそろお昼の時間。
(話し掛けてみようかな)
ハルカと彼女はどちらからともなく子どもに帰りを促す。
でもそんな簡単に子どもが言うことを聞くわけがない。
そう、だからこそ今がチャンスだ。
(よし、話し掛けてみよう)
初対面の人に話し掛けるドキドキ感を勇気に変えて、ハルカは口を開いた。
出典:写真AC
「なかなか帰ろうとしないですよね」
カナトの遊び相手をしながら時々チラチラと彼女に視線を向けていたのだけど、言葉を投げ掛けたハルカに彼女は初めて目を合わせた。
「ですよねー」
彼女も同調する。
「いつも切り上げ時が難しくて」
と、ハルカが言うと、
「そうそう」
と、彼女が相槌を打つ。
同調の先に続く言葉を探す代わりに、彼女は自分の子どもに再度帰りを促す。
ハルカも、
「カナト、そろそろお片づけしよう」
と、代々この児童館で使われてきたのであろう、年季の入ったミニカーの数々に手を伸ばそうとした。
でも、カナトは頑なにそれを嫌がった。
「やだ!まだあそぶの!」
巷では“イヤイヤ期”という言葉を使うけれど、どちらかというと“ヤダヤダ期”だよなぁ、とハルカはいつも思う。
カナトは3歳になった今でこそ言葉を発して伝えてくるけれど、半年くらい前までは叫び声を発して反抗していた。
それが毎日だったものだから、一時期ハルカはそれでノイローゼになりそうだった。
でも、時が経つにつれてそれもいつの間にか収まっていて、随分と楽になったものだ。
カナトの反抗のひと声を聞いて、
「お子さん今何歳ですか?」
と彼女が聞いてきた。
ハルカは、
「3歳です」
と答える。
「あ、じゃあうちと一緒だ!」
そこでハルカと彼女は、お互いに安心感を伴った笑顔を向け合った。
子どもの年齢が同じというだけでも、ママ同士は何となくホッとするものだ。
同性なら更に。
聞けば誕生日も近く、まだ3歳になりたての男の子同士だとわかった。
出典:写真AC
彼女の子どもはケンタくん。
活発で元気そのもの、小さな部屋でもよく動き回る男の子だ。
きっと外でも泥んこになって遊ぶタイプだろう。
それに対してカナトは、砂遊びでもあまりガツガツ砂を触りたがらないタイプだ。
それもそのはず、ハルカ自身が外遊びが苦手なタイプで、つい神経質に砂を払ったりしてしまうからだ。
そんなママと一緒にいる時間が長いカナトは、必然的に似たようなタイプになってしまう。
アウトドア好きなパパと過ごす時間が長かったら、きっとケンタくんのようにもっと活発で、砂だろうが泥だろうが構わず遊ぶ子になっていただろう。
そう考えると、ハルカはいつもカナトに申し訳ない気持ちになってしまうのだった。
帰るの帰らないのと騒いでいるうちに、お昼を知らせる館内放送がかかった。
ママたちは、子どもたちに帰りを促す助け舟が来たことに少し安堵し、その助けを借りてやっとお片づけに漕ぎ着けることができた。
おもちゃを元あった場所に戻し終え、子どもたちが他のおもちゃに興味が移らないうちにそそくさと部屋を後にし、ひとまず児童館の外に出ることに成功した。
ハルカと彼女は、お互いもっと話したいという思いが児童館を出た瞬間に前面に飛び出し、早速ママ同士で、井戸端会議を始めたのだった。
次回は来週公開~夢追いママ
ライター みらこ
3歳男児に翻弄される日々を送る音楽大好きママ