【育児小説】新緑ノート第8話~衝突

 

~新しくできたママ友と親子のための音楽イベントを開催予定のハルカ。

他のママ友に、イベントをやんわり否定されたり、3歳の息子が風邪をひいたりとトラブルが続く中でも、イベントの準備は着実に進むように見えたが……。~

 



 

ハルカは、カナトの寝言に気づいて目を覚ました。

「…うぅーん…つまんないよ!」
眠りが浅くなっているようでもぞもぞと落ち着かない。

ハルカは時間が気になって、枕元に置いたスマホを手に取ると深夜3時を回っていた。

「つまんない」
という言葉にハルカは一瞬ドキッとしたけれど、寝言に返事をするのは良くないと聞いたことがあるので、手を伸ばしてカナトの頭をそっと撫でて少しそのまま様子を見ていたら、とうとう泣き出してしまった。

夜泣きなんてどれくらいぶりだろう。

2歳だった去年は、特に夏の間は毎日のように暑さを訴えて夜泣きしていた。
当然親も寝不足になるしイライラするし、夏という季節を憎みさえした。

カナトより少し大きい子どもがいるママ友からは、
“そのうち朝まで寝るようになるよ”
と、よく言われたけれど、言われたその時は、そうなるまでが遥か遠くに感じられたものだ。

3歳になると、いつの間にかそんな悩みもどこかへ消え去り、カナトは夜泣きを滅多にしなくなった。

先輩ママの言うことは本当で、大泣きすることも減ってきた今は、顔をくしゃくしゃにして泣く姿が可愛く思えるようになっていた。
でも、「つまんない」なんて負のイメージの夢を見ているのであろうことがなんだか寂しく思えて、それが寝言として出てしまうことが悲しかった。

そして、それはハルカには大いに心当たりのあることだった。

やっぱりナナに言われた通り、私はカナトを振り回してつまらない思いをさせているのだろう。

出典:写真AC

カナトの泣き声は次第に泣き叫んでいるようになり、ぐっすり眠っていたパパもさすがに目を覚ました。

「どうしたー?カナトー?」
と、眠りを妨げる泣き声にイライラするそぶりは微塵もなく優しい声で話し掛ける。

可愛い息子であっても、こういう時ハルカはついイライラしがちで、夫の寛容さ、優しさには本当にいつも頭が下がるばかりだった。
どうしてこんなに優しく接することができるのだろう。私は冷たい人間なのだろうか。

頭の中であれこれ考えるだけで、泣き叫ぶカナトに一言も声を掛けていない。

カナトは、手をつけられないくらいに泣いてしまうと、ハルカがどんなに抱っこしようとしても暴れてその手を払いのける。
それを何度も経験しているから、あまりに泣き方が酷い時は、敢えて手は差し延べず声も掛けることなくただ傍観してしまうのだ。

“泣く”という行為は発散の意味もあるから、泣きたいだけ泣かせることも必要なのではないかとハルカは思うのだけれど、それでもやはり夫のように優しく声だけでも掛けるべきなのだろうか。

夫は優しさを保ったまま懸命にカナトをなだめ、それから約40分経った頃、カナトはやっと落ち着きを取り戻して眠りについた。

時計はもう4時を指していた。夫はひと仕事終えて深いため息をつき、トイレに向かった。

ハルカはベッドに戻った夫に小さな声で一言、

「ありがとう」
と声を掛けた。

何の役にも立たない自分が言える言葉はそれだけだった。



それから2時間後、ハルカのスマホのアラームが鳴り、枕元に手を伸ばしてアラームを解除した後、枕に突っ伏してため息をひとつついた。
そして顔を上げて横を見ると、夜中にギャンギャン泣いていたとは思えないくらいスヤスヤと可愛い顔で眠るカナトがいる。

夜泣きが始まると、
“いつ泣き止むのだろう。明日も早いのに勘弁して”
と、イライラしてしまう自分はなんて心が狭いのだろうか。

眠っている時はこんなに穏やかな気持ちになれるのに。
ハルカは、カナトの艶のある柔らかい髪を撫で、鼻の頭をなぞり、すべすべのほっぺたを優しくさすった。

よし、起きよう。
気合いを入れて体を起こし、ハルカは静かに寝室を出た。

顔を洗って目を覚まし、キッチンへ向かう。お湯を沸かし、夫のお弁当を作りながら並行して朝食の支度もする。
7時に夫が起きてきたら、すぐに食卓にできたての食事を運べる準備をしておくのだ。

いつもなら、夫の目覚ましの音が鳴る前にはカナトが先に目を覚まし、“パパ、おきてー”と息子のモーニングコールが始まるのだけれど、昨夜の夜泣きが響いているのかまだ起きそうにない。

7時を少し回って、疲れた顔の夫がリビングに入ってくる。
「カナトまだ寝てる?」

「うん。まぁ、ゆっくり寝かせてあげようよ」
「そうだね。ごはん、先食べよっか」
「うん」

ハルカと夫はダイニングテーブルに向かい合わせに座り、手を合わせて静かに“いただきます”をした。

ハルカは、昨夜のカナトの夜泣きの対応を夫に任せてしまったことを少し後ろめたく感じて、伏し目がちに箸を進めていた。
すると、食べ始めて少ししたあたりで夫が口を開いた。

出典:写真AC

 

「昨日は久々の夜泣きだったな」

ハルカは顔を上げ、
「うん。いつぶりだろうね、あんなに泣いたの」

と答え、泣き出す前にカナトが寝言で放った一言を夫に伝えた。

すると夫は少し険しい顔になり、

「そうなの?」
と箸を止めてハルカを直視した。

その目にハルカは一瞬緊張する。

「うん…」
「そっか。俺、平日ほとんど一緒にいないしなぁ。それが原因だったら可哀想だな」

ハルカは、自分に非があると思っている夫の発言にまた優しさを感じて心が痛み、慌てて否定した。

「違うよ、パパのせいじゃないよ。多分、私のせい」
「あぁ…、例のイベントのことか」
夫もやはりわかっている。

イベントの開催を決めた時も否定的なことは一切言わず、その後の準備が順調に進んでいるか気に掛けてくれていた。

でも今日は違った。
「ハルカさ、ちょっといいかな。一回箸置いて聞いてくれる?」

ハルカは覚悟を持って夫に言われた通りにし、顔を上げた。

「ハルカがさ、カナトやいろんな子どもたちのためを思ってイベントやろうとしてるのはいいことだと思うんだ。
引っ越してきたばっかりでミサちゃんみたいに気の合うママ友に出会えて安心したし、しばらく遠ざかってた音楽もまたやれてるわけだし。

でもさ、何ていうか…俺から見ると今のハルカはイベントを中心に考えた生活してるみたいなんだよね。
もちろん、ハルカは日中俺がいない間もずっとカナトのこと見てくれてるのわかってるよ。

だけど…、イベントの準備しながらカナトの面倒見るんじゃなくて、カナトを中心に考えながらイベントのこと考えてほしいんだ。
カナト、まだ鼻水出てるし鼻声だし、風邪もちゃんと治ってないだろ?
だから昨日のミサちゃんとのリハーサル、無理にやらなくても延期できたと思うよ。ハルカはいつでも日にちの融通きくんだから」

ハルカは、毎日何の予定も無い専業主婦だと自分でわかってはいるけれど、夫にそんなふうに言われたことに少し苛立った。

でも、本当のことだ。
こんなところで反抗心が芽生えていては大人とは言えない、母とは言えない。

「…そうだよね。子どものためって言いながら、私自分のことばっかり考えてるよね。ごめんなさい…」
ハルカは夫に向かって頭を下げた。

「いや、俺に謝らなくてもいいんだけどさ。ハルカは真面目だから、やるって決めたらきっちり予定通りやりたいんだよな。でもそれで周りが見えなくなると、子どもって敏感だし、カナトは割と我慢するタイプだから発散しどころがわからなくなるんだと思う」

夫の言うことは的を得ている。
夫はいつも、決して怒らず諭すように言葉を選ぶ。

まるで私は夫の子どもみたいだ。

「昨日の夜泣きも、きっと我慢が爆発しちゃったんだね」

ハルカは、カナトがいる寝室に顔を向けながら言った。
そしてまた食卓に目を移した時、カナトがパパとママを呼んだ。

ハルカは夫と共に寝室に向かい、それぞれベッドの両脇に座ってカナトに朝の挨拶をした。

出典:写真AC

 

それからいつもの慌ただしい朝が瞬く間に過ぎて行き、天気も良かったので、ハルカはカナトを公園に連れて行くことにした。

今日のお昼は公園で食べることに決め、行きがけに近所の美味しいパン屋さんに寄った。
公園で暖かいお日様を浴びながら、カナトは思いっ切り走ったり遊具で遊んだり、ここ数日風邪で外遊びをしていなかったストレスを発散させていた。

やっぱり子どもは、外の自然に触れている時が一番輝いている。

「ねぇママ、おひさまがあっためてくれてるねー!」
純粋な心から放たれる言葉はなんて美しいのだろう。

ハルカはカナトの素直さに涙が出そうになった。

その夜、カナトを寝かしつけて夫が帰るまでの間、ハルカはミサに伝えたいことがあってメールを打った。

“イベントをやることで子どもを引っ張り回してるんじゃないか”
と、友達に言われたこと、カナトがどうやらこの準備期間中だいぶ我慢している様子であること、それを夫にも指摘されたこと。
このまま続行していけるのか、本当に子どものためにやれているのか、やれるのか、正直不安で心が揺れていること。

2人の思いが合致しないことには開催は難しくなる。
ハルカは一度立ち止まって心を落ち着かせたくて、ミサに正直な気持ちを伝えた。

そしてミサから返ってきた言葉は…。

次回は来週公開~開幕

ライター みらこ

3歳男児に翻弄される日々を送る音楽大好きママ



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