
〜絵本と朝日と夕日と。第2話〜
パパからの結婚記念日のプレゼントによって、最愛の息子を授かったことは奇跡的で幸せなことだと実感した私。それなのに、実際に育児をする身になってみたらイライラしてばかり。子供にとっての幸せって……?
3歳、イヤイヤ期はまだ続く
「やだ!やーだやーだ!」
また息子のヤダヤダ攻撃が始まった。
「電車見に行くんじゃなかったの?
そんなヤダヤダ言うならもう連れて行かないよ!」
今日は晴れて気持ちのいいお天気なので、最寄りの駅まで歩いて電車を見に行こうとしていた。
「やだ!いく!」
「じゃあ早く着替えなさい!
お出かけしたいって言ったのハルでしょ!」
突き放したように言うと、
「ママ、きがえさせてぇ」
と甘えてくる。
「自分で着替えなさい!」
イヤイヤ期にどうやって対処すればいいのか悩む日々
私やパパがうっかり手を貸してしまうと、『じぶんで!』と言って怒るくせに、『着替えなさい』と言うとやりたがらない。
何でも自分でできる子になってほしい、という思いが、命令という形でただの押しつけになってしまっていることは、私自身よくわかっている。
3歳の今、無理にやらせなくたって、そのうち自然と自分でやるようになるのだから、本当はきっと、もっとおおらかに構えるべきなのだ。
現に、トイレトレーニングだって気づけば順調に進んで、夜寝る時以外はもうすっかりオムツなしで過ごしている。
もちろん、パンツに移行するまでは決して短い道のりではなかった。
自分から『トイレ!』と言うようになったと思ったら、また言わなくなり、トイレにも行かなくなってしまった時期もあった。
それでもなんとか、来年の幼稚園入園前にトイレで用を足せるようになったのだ。
食事だって、プレ幼稚園に行っている時はちゃんと自分でお弁当を食べられるのだから、家で甘えてきた時、少しくらい親が食べさせてあげたっていいのではないか。
それなのに、大人だって言われたらイヤなことを、親という立場を利用して、怒りに任せてつい子供にぶつけてしまう。
そして一度入ってしまった鬼スイッチは、そう簡単には切れなくなってしまう。
怒りが鎮まる時
でも、怒りの感情はずっと続くわけではなく、ロウソクの火をフッと消した後の煙のように、入れ替わりに優しい感情が立ちのぼってくる瞬間がある。
『あぁ、私はなんであんなに感情的になっていたんだろう』、と。
そしてその瞬間が訪れた後、『こっちおいで』と手を伸ばし、ハルをぎゅっと抱きしめて私は言う。
「たくさん怒っちゃってごめんね」
するとハルは、小さな顔を私の胸にうずめ、少し上目遣いで『うん』と返事をする。
こんなに小さな子供に、罵声とも言える声を張り上げて怒鳴ることを繰り返していたら、これから先の人格形成に影響が出てしまうのではないだろうか、という不安が押し寄せる。
私はただ鬱憤を晴らしたいがために怒鳴っているのだろうか。
ハルの心を傷つけて、1人でスッキリしたいだけなんだろうか。
違う。
傷つけようなんて思ってない。
スッキリするどころか、後味が悪すぎる。
一度深呼吸するとか、5秒数えてみるとか、怒りの感情を声に乗せてしまう前に対処できることはあるはずなのに、1歩踏みとどまるべき段をいつも飛ばして頂点に達してしまう。
ハルの優しさと母の優しさに包まれる
「アサコは瞬間湯沸かし器みたいね」
実家に帰った時、ハルに大声で怒鳴る私を見た母から、そう言われたことがある。
でも私はそんなふうに言われたことが悔しくて、それに対してまた怒って母に言い返した。
「ママだって私によく怒ってたじゃない!
だから、自分の子供には怒らないママになるって……
そう、思って、たのに……」
気づいたらもう私は泣いていた。
子育てが思い通りにいかないのはわかっている。
でも、私ってこんなに人に対して怒ってばかりの人生だった……?
こんなの嫌だ。
いやだ。
やだ。
結局私はハルと同じ子供なんだ。
母は、タガが外れたようにハルの前で泣きじゃくる私を抱きしめて、優しく背中をポンポンと叩いた。
ハルはそんな私を見てキョトンとして言った。
「ママ、どうしたの?
だいじょうぶ?
あ、ぼく、『いたいのいたいの、とんでいけ』してあげるよ。
いたいのいたいの、とんでいけぇー」
理不尽な怒り方をされて、たくさん傷ついているはずのハルの優しさに、私の涙は止まらなくなってしまった。
「ごめんね、ハル。
痛いのはハルの方だよね……」
母は私を包んでいた腕をほどき、今度は私がハルを包み込んだ。
「ぼくいたいとこないよ。
ママ、いたいのなおった?」
「うん、ありがとう。
もう大丈夫。
ハルはいい子だね」
そう言いながら、私はハルの頭を何度もなでた。
「こんなに優しくできる子なんだから、むやみやたらに怒ったら良くないわよ」
母からのその言葉は、落ち着きを取り戻した私の中にスッと溶け込み、それからは心を入れ替えて、おおらかに接するようにしよう、と決心した。
……はずだった。
怒りんぼママにはなりたくないのに……
もう、これは私の性格が問題なのではないか。
すぐイライラして、感情を抑えられずに吐き出してしまう。
でも、私はそうやって言いたいことを大声で怒鳴るような人間じゃなかったはずだ。
どちらかと言うと、言いたいことがあっても言えずに抑えてしまうタイプだった。
いや、今だって本当はそうなのだ。
じゃあなぜハルに対してだけ感情をむき出しにしてしまうのだろうか。
私はインターネットで何度も、3歳児に怒鳴ってしまう母親について調べた。
同じような悩みを持つ母親の投稿を見れば安心するけれど、それに対する返答が、『なぜ子供に怒鳴るのか理解できない』という内容だったりすると、私は子供のことを愛せていないのかと不安になった。
ママ友と話していても、やはり子供に対して怒鳴ってしまうという悩みはよく聞く。
『怒らないで済む日がほしいよね』と、お互いうなずき合う。
なぜイライラしてしまうの?
私の場合は、パパがいる時は比較的怒ることは少ない。
でも、いない時はその回数がいちだんと増えてしまう。
それはやはり、やるべき家事をこなしつつ、ハルの要求を1人で受け止めなければならないというプレッシャーがあるからだと私は思うのだ。
くしゃみ1つ出れば、『ママ、はなみずふいてー』と呼ばれるし、特定のミニカーを探しているけれど見つからなくて、『ねぇ、きゅうきゅうしゃがないよー?』と呼ばれるし、とにかくハルにしてみれば、もっと自分を見てほしい、もっと自分にかまってほしいという思いが強いのだと思う。
でも私からすると、ハルの思いもわかるけれど、やることなすこと中断されることにイライラしてしまうのだ。
よく先輩のママ友に、『家事なんて手抜きでいいんだよ』と言われるのだけれど、私は掃除も洗濯も食事の支度も、最低限のことだけ、やっているつもりだから、その最低限から何を手抜きすればいいのかわからない。
でも、きっともっと手抜きできるところはいくつもあって、それができればイライラすることも減るのだろう。
大人であるはずの私が、子供相手に自我を出して毎日毎日イライラ攻撃をしていたら、そりゃハルだってヤダヤダ攻撃で返したくなるのは当たり前だ。
冷静に考えれば、そうやってハルに対する自分の言動や行動を分析できるのに、その場になるとついギャンギャンと吠えてしまう。
ハルが時々、『ママはおこるからやだ。パパがいい』、とパパに訴えているのを見ると、いっそのこと、滅多に怒らないパパに主夫になってもらって、私が外に働きに出た方がいいのではないか、その方がハルにとって幸せなのではないか、とまで考えてしまう。
でも本当はそういうことではないのだ。
ハルにとっては、パパとママが揃って自分のそばにいて、どちらも優しく自分を包み込んでくれる存在であってほしいはずだ。
怒らない決意
子供がいる生活を夢見ていた日々。
それが叶って、すくすくと成長していくハルがいる日々。
パパと私がかみしめている、この幸せを、ハルが同じように感じられますように。
私はハルが眠った夜の静かな時間、踏切のそばで電車を何本も見送っては喜ぶハルの今日の姿と、赤ちゃんの頃からの写真をスマートフォンで眺めながら、そう願った。
そして、スヤスヤと眠るハルの寝顔を見つめ、今日も怒ってしまったことへの反省をし、『明日は怒らないようにしよう』と決意して眠りについた。
翌日、私は昨夜の決意を忠実に守って朝から過ごしていた。
でも、1日を終えるあと少しのところで、その決意が音を立てて崩れていった。
次回は来週公開〜主婦友達
ライター みらこ
3歳児に翻弄される日々を送る音楽大好きママ