【育児小説】絵本と朝日と夕日と。第3話〜主婦友

〜絵本と朝日と夕日と。第3話〜

子供がいる今は、『ママ友』という自分の人生の中で新しいジャンルの友人関係が成り立っている。でも、子供ができる前は結婚しても子供がいない友達に寄り添っていた。一緒に美術学校を卒業したユウコはそんな友達の1人で、お互い子供のいない者同士、励まし合っていた時期もあったのだけれど……




成長の証

「ママ、みて!」
3歳になってから、だんだんと自分の作りたいものを形にできるようになってきたハルは、ブロックのおもちゃで作ったものを見せたくて私を呼んだ。

「お!すごいねぇ!
駐車場?」

怒らないと決めた今日は、朝からできるだけハルの要求に丁寧に答えた。
私は毎日、ほぼべったりハルと一緒にいるから、悪く言えば見慣れてしまっていて、同じ『すごいねぇ』という言葉でも、つい反応が薄くなって棒読みになってしまうことが多い。

「そう!
ね、すごいでしょ?」

そう答えるハルの表情には、『ママがちゃんと見てくれた』、という思いが表れていた。
ついこの間まで、あれ作って、これ作って、とパパや私に作ってもらったもので遊んでいたのに、ほんの少しの間に創造力が養われているんだなぁと気づく。

パパと私の気持ち

午前中は私が家事でバタバタするのがわかっているからか、ハルは割と1人で遊んでいてくれている。そんなところにも着実に成長の証が刻まれている。
私はバタバタしながらもハルの成長を見ることができるけれど、パパは仕事で家にいない間のハルの成長を目の当たりにすることができない。

ある時、ハルが知育系のおもちゃで遊んでいて、見本を見ながら自分で同じように作れた時、
「もうこんなこともできるようになったんだね。
パパ、もっとハルと一緒にいたいなぁ」
と、一生懸命遊ぶハルの姿を見ながら切なげな表情でつぶやいていたことがある。

こんな時私は、『だったら1日でもいいから私と代わってほしい』、『いや、1日じゃ足りないな、せめて2日!』とか、内心そんなことを思っていたりするのだけれど、もし私がパパの立場だったら、やっぱりそんなふうに思うのかな。

1日のゴールに向かって

ハルは、3歳になって昼寝をほとんどしなくなった。
それはつまり、日中私が1人でひと休みできる時間がなくなったということだ。
それゆえに、ハルのあらゆる言動が私に向けられていて、そのすべてに反応することに疲れてしまうのだ。
昼寝をしない分、夜はだいたい8時から9時くらいの間に寝てくれるので、私はそこを1日のゴールと設定して日々を送っている。

でも今日は、パパの帰りが遅くなるから、ゴールまで1人で頑張らなくちゃならない。
唯一の救いは、今日は私も仲の良いママ友4人とその子供たちで、ランチの約束をしていることだ。
誰かと会う目的があるだけでも、イライラして怒ってしまう回数はグンと減る。
それがママ友なら、日々の子育てに関する思いをいくらでもぶつけることができる。
みんなそれぞれに話したいことがあり、聞いてほしい、そして同じ思いを共有したくて集まるのだ。

今日はできるだけバタバタするのを避けるために早く起きたから、準備は順調に進んで、もうあとは出かけるまでハルの遊び相手になってあげる余裕さえあった。

『やればできるじゃん、私。』

今日は私が余裕を持って寛容になれているからか、ハルも素直に言うことを聞いて、嘘のようにすんなりと玄関を出ることができた。
こんなことは奇跡に近い。

おかげで道中の電車移動もお互い楽しめて、ランチをするカフェには、余裕のある華やかな笑みをともなって登場した私たち親子。
私の心の中の『今日は怒らない宣言』は、今のところまだ維持できている。



ママ友とのランチで思い出したこと

ランチは、子供たちも積極的に自分で食べていて、付きっ切りでなくてもよいので、ママたちもおしゃべりに花を咲かせられるようになった。
『ラクになったよねー』と、それぞれの子供たちを眺めながら、ママたちは日々の育児生活を振り返る。

私は、集まったママ友の中では最年長で、今年40歳になった。
他の3人はまだ30代前半だ。
子供が3歳ともなると、『そろそろ2人目は?』なんて話題も出てくる。
私はありがたいことに若く見られるのだけれど、結婚した時がすでに33歳で、すぐにできると思っていた子供にはなかなか恵まれず、ハルを妊娠したのは36歳の時だった。
同じ年の友達は、36歳の時には2人目がいて、40歳の今となっては3人目の子育てをしていたりする。
今は高齢出産なんて珍しくないけれど、それでもやはり年齢を考えると、他のママ友と同じように2人目の話題には軽々しく乗っかれない。
若く見られようが、年齢という符号が現実を突きつけてくる。

私はふと、美術学校時代の友達、ユウコのことを思い出した。
彼女と私は結婚した年が同じで、始めのうちはお互い子供のいない結婚生活を満喫しつつ時々飲みに行ったりしては、『子供も同級生になったらいいよね』、なんて話していた。
それが1年過ぎ、2年過ぎ、と月日が経つにつれて、私もユウコも子供がなかなかできないことに焦りを感じるようになっていった。

それでも、同じ悩みを持つことにお互いどこかで安心していて、周りがママ友や育児のことで悩んでいる中、そんな未知のカテゴリーに属さない私たち2人は、子供のいない主婦として頼り合っていた。

35歳までは。

ハルがお腹に宿るまで

やがて私もユウコも36歳になった年。
ついに私のお腹の中に、小さな命が宿っていることがわかった。

私は35歳を過ぎたあたりから、もう子供は諦めはじめていた。
会いたいと思ってもなかなかタイミングが合わず会えない人がいるように、きっと私には妊娠や出産は縁のないことなのかもしれない。
いや、タイミングの問題じゃなく、私には子供を持つ人生は始めから用意されていないのだと、そんなふうに考えるようになっていた。
そう思えば少しは気持ちがラクになる気がしたのだ。

それまでは、街中で赤ちゃんを見たり、友達の妊娠の報告を聞くたびに焦って、気づけば毎日、何かにつけて考えが子供のことに繋がっていた。
パパはその点では楽観的で、『そのうちできるよ。今はまだ2人の時間を楽しめ、ってことだよ、きっと』、とサラッと受け流していた。

パパと2人での生活は楽しかったし、このままずっと2人で生きていくのもアリかな、なんて思うこともあった。
でも私はそう言われるたび、パパは男だからそう言えるんだよなぁ、と心の内で思っていた。

女にはタイムリミットってものがあるのだから……

1度は検査を受けようかとも思ったけれど、そこまでして本当に子供が欲しいのかもわからなくなっていた。
周りがどんどんママになっていって、ただ取り残されるのがイヤなだけなんじゃないか。
そんな気持ちで1人の人間を育てていけるのか。
もう、私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。

そんな糸の絡まった思いで日々を過ごしているうちに、だんだんと諦めの気持ちが前面に押し出されてきた。
そんな頃だったのだ。ハルが私たち夫婦の元にやってきたのは。

あえて子供のことは話題に出さないようになっていた中での思いがけない妊娠で、私もパパも一瞬戸惑ったけれど、嬉しくて嬉しくて、お互いの両親にすぐ報告の電話をかけたのだった。

ユウコを思いながら、ハルとの現実に戻る

そんな喜びをもたらしてくれたハルの存在を、私はユウコにだけは報告しづらくて、それからは会う約束もやんわりと断るようになってしまった。
ユウコの方も、イラストレーターとして頭角を現し始めた頃で、だんだんと忙しくなり、それきり直接連絡を取ることもほとんどなくなった。

今頃どうしてるかなぁ。

ママ友とのランチの帰り道、疲れて寝てしまったハルの重量を全身で受け止めながら、ぼんやりとユウコのことを思った。

家に帰り着き、玄関に入ったところで目を覚ましたハルは、寝起きの不機嫌な顔で、
「くつ、ぬがせて」
と私に言った。

私は、『えぇー』と言いたくなるのを抑えて、ハルの靴を脱がせた。
重たいハルを抱っこして帰ってきた私も疲れてしまい、この後ハルと早めのお風呂を済ませて、夕食の支度をすることを考えただけでため息が出てしまった。
でも、私がやらなきゃ誰もやってくれる人はいない。
ママ友と会って楽しい思いをしてきたんだから、文句言わずに頑張らなきゃ。

家事モードに切り替えて、私は気合いを入れた。
でも、私のその気合いを、ハルにかたっぱしから切り落とされていくのだった。

次回は来週公開〜妊娠

ライター みらこ
3歳児に翻弄される日々を送る音楽大好きママ



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