
〜絵本と朝日と夕日と。第4話〜
『今日は怒らない宣言』を忠実に守って行動していた私。余裕を持って行動すれば、ハルも穏やかに言うことを聞くのだと実感したものの、ママ友との忘年会から帰宅した後、その宣言にも暗雲が立ち込める。誰にも邪魔されずに1つのことを達成する難しさを、私は痛感するのだった。
3歳児との駆け引き
「ママ、テレビみせてー」
さてこれからお風呂に入ろうと着替えの準備をしていた私に、ハルからの要求が入った。
「もうお風呂沸いたから入るよ」
するとハルは、
「そのまえにちょっとだけみせてー」
とダダをこね始める。
「お風呂から出たらママは晩ごはんの支度するから、その時ゆっくり見ればいいでしょ」
と私が言えば、
「やだ!いまみる!」
とお決まりの反抗。
「早く入らないとお風呂が冷めちゃうよ。
せっかく沸かしたのにもったいないでしょ。
ほら、行くよ。
あ、じゃあさ、抱っことおんぶ、どっちで行く?」
私は、『テレビを今見る』以外の選択肢の中から希望を選ばせることにした。
するとハルの『テレビ見たいスイッチ』はいとも簡単に切り替えられ、
「おんぶ!」
と元気よく答えが返ってきた。
子供って単純だなぁ。
今日はパパも仕事で帰りが遅くなるし、食事の支度を先にして、その間にテレビを見せてあげて、お風呂は寝る前に入れたって良かったのだけれど、ただ単に私が、段取りが狂うのがイヤなだけだったのだ。
ハルには、お風呂を出た後にテレビを見せる約束をして、2人でなごやかにバスタイムを過ごした。
約束通り、夕食の準備に取りかかる前にテレビをつけ、録画してあるアニメからハルの見たいものを選ばせた。
湯上がりでほっぺたが赤くなったハルは、大好きな機関車のアニメを見ることに決めた。
私は、アニメが終わるまでの30分を利用して、前の晩の残り物や冷蔵庫にあるもので、手早く夕食の準備をした。
アニメが終わると、自主的にテレビのリモコンを取って電源を消すのがハルの決まりごと。
「テレビ消して偉いねぇ」
と言いながら、私はハルを食卓へ誘導し、見たアニメに出てきた機関車の話をしながら食事をとった。
常につきまとう『中断』
食事が終わり、さて洗い物を始めよう、とゴム手袋をはめて水道のレバーを上げた瞬間、まるで狙ったかのようなタイミングでハルに呼ばれた。
「ママ、おしっこー」
私は、一度はめたゴム手袋を外してハルをトイレに行かせた。
私は肌が弱くて、ゴム手袋をはめても、洗い物による手肌へのダメージが強い。
でも、乾燥してあかぎれやヒビ割れになりやすい冬の間は、気休め程度にでもゴム手袋をはめて洗い物をする。
だから、タイミングが悪いとそのゴム手袋をまた外さなくてはならない。
トイレで用が足せるようになって楽になったとはいえ、そのひと手間のおかげで、『また中断か……』といつも思ってしまう。
そしてそんなタイミングは1日の中で何度もある。
今日はお風呂前だったけれど、いざ掃除を始めようと掃除機を取り出した時。
「テレビみたい!」
「掃除機かけたら音聞こえないでしょ。掃除が終わったら見せてあげるから」
いざ食事の準備を始めようと冷蔵庫から食材を出した時。
「ママ、こっちきてー」
「えー、これからごはんの支度しようと思ったのに……」
誰にも邪魔されずに1つのことを達成する、ということがこんなに困難だとは、子供を持つまでまったく知らなかった。
妊娠した頃の思い出
ハルを妊娠した頃は私もまだ仕事をしていて、最初は仕事中に急に気分が悪くなって、持参したお弁当も食べられないほどフラフラになっていた。
敏感な同僚からは、『もしかして赤ちゃんできたんじゃないの?』と言われたのだけれど、子供は半ば諦めかけていたから、私にとってはにわかに信じ難い一言だった。
その日はなんとか1日職場で過ごし、帰宅してパパにそのことを報告すると、やっぱりパパからも『もしかして?』と言われた。
考えてみれば、月1回来るはずのものも来ていなかった。
『もしかしてそうなのかもしれない』、という期待を抱きつつ、私は妊娠検査薬を買ってみることにした。
翌日はいつも通り体調も良く順調に仕事を終え、帰りに薬局に寄った私は、初めて買う妊娠検査薬の売り場に、少し緊張して向かった。
それまで気にしたことがなかったのだけれど、妊娠検査薬には種類がいくつかあった。
36歳になって初めて買う妊娠検査薬。
何種類かある中から1つを選び、私はドキドキしながらレジで会計を済ませた。
『これを帰ってから試すのか』
なんだか今まで感じたことのない感情が渦巻いていた。
テレビでは見たことがあるけれど、実際それを自分が体験するなんて。
その日の夜、パパと夕食を終え、ひと段落ついたタイミングでいよいよ検査薬を試すことになった。
「じゃあ行ってくるね」
とパパに告げ、私はトイレに向かった。
『パパはどんな気持ちでいるだろう。
陽性と出てほしい。
でも陰性かもしれない』
複雑に絡まった感情のまま、私はトイレで1人結果を待った。
そして……
陽性を示すプラスのマークがくっきりと、検査薬に浮かび上がってきたのだった。
私はうれしくて、でも信じられない気持ちで、笑顔になりきらない表情でトイレから戻った。
「どうだった?」
とサラッと聞くパパに、
「陽性だった」
と、その結果を信じられずに抑揚を欠いた反応をしてしまったことをよく覚えている。
すると夫は、
「でかした!」
と急にパッと花が咲いたような表情で喜びをあらわにした。
「でもまだちゃんと調べたわけじゃないし、土曜日の午前中にでも産婦人科行ってくるよ」
と、喜ぶパパの姿がうれしくもあり少し気恥ずかしくもあり、照れながら私はそう言った。
そして産婦人科で、
「おめでとうございます。ちゃんと妊娠反応出てますよ」
と先生から告げられ、その時仕事中だったにも関わらずパパにすぐ電話で報告した。
妊娠中と育児中の現在のギャップ
妊娠中は、つわりもそこまでひどくはなくて、いたって穏やかに、いつも通り生活していた。
小説を読んで物語の世界に浸ることもできたし、お茶を飲んでまったり過ごすこともできたし、好きなドラマをリアルタイムで見たり、いくつも録画してはゆっくり見ることもできた。
それが、ハルが3歳を迎えた今じゃ、本なんてまず読む時間がない、まったり過ごすことがどういうことかも忘れるくらい毎日バタバタ、録画して見られるドラマはせいぜい1つか2つ、リアルタイムで見られることなんてほとんどない。
ママになったら、あれやりたい、これやりたい、という欲望は捨てなくちゃいけないのかな。
子育てに専念するっていうのはそういうことなのかな。
思うようにやるべきことが進まないストレス、外の世界と自分の間にある壁、そういうものが、育児の責任とともについて回る。
たまにはハルと離れて1人になりたい時だってある。
そう、1人になって、ユウコに久しぶりに連絡をして、ちょっと会うくらいのことはしたい。
ユウコは、今や女性向けの雑誌を中心にイラストレーターとして活躍の幅を広げている。
もし彼女に子供がいたら、閉ざされていたかもしれない活躍の場。
でも、彼女は頭の回転がはやいから、うまいこと両立できていたかもしれない。
いずれにしても、子育てでいっぱいいっぱいの私は、つかんだチャンスを逃さず活躍できているユウコを、今となってはうらやましく思えてしまうのだった。
3年も待ち続けてやっと授かった子供なのに、そんなふうに思ってしまうなんて……。
今ももちろんハルのことは愛おしいと思うけれど、妊娠中の時に感じた愛おしさとはまた違った感覚であることは確かだ。
まだおなかにいた頃、胎動を感じるようになってからは、小さな命の『生』を自分の体の中で感じる不思議、神秘に満たされていた。
日に日に大きくなっていく自分のおなか、自分の姿を鏡に映しては、初めての出産に対する恐怖や不安を感じつつ、我が子に会える日を今か今かと待ち続けた。
とにかく何も問題なく生まれてきてほしいと願いを込めて、毎日話しかけて。
生まれてきたハルは本当に何も問題なく、それからすくすく成長し、もうすっかり会話も成り立つようになった。
『しゃべるようになると3割り増しでかわいいよ』と、かつての職場の同僚に言われたことがあった。その言葉のとおり、なんだかよくわからない宇宙語で演説を始めるようになったり、時々言葉を言い間違ったり、そんなことが本当にかわいくて仕方なかった。
でも今は意思表示もきちんと言葉で伝えられるようになり、それゆえにこちらも対等に受け答えをするようになっている。
だから、あれこれ要求が入るたび、最初は穏やかに答えられるのだけれど、その答えに対して『やだ!!』と返ってくると、私はだんだんイライラしてきて、ついにはカミナリを落としてしまうのだ。
1回の洗い物で2度目の中断
中断していた洗い物が済んだら、洗った物を拭いて片づけて、シンクやガス台を拭いて水仕事は終了、と頭の中で段取りを決めながらお皿を洗っていると、またハルから要求が入った。
「ねーママぁ、のどかわいたー」
私は少しイライラしだして、つい意地悪く言ってしまった。
「そういう時何て言うの?
喉が乾いたから何?」
「おちゃちょうだい」
私はまた洗い物を中断して、ハルの元へお茶を届けた。
すると、私がそばに来たタイミングを狙って、
「ねー、これよんで」
と、図書館で借りた絵本を見せてきた。
「ちょっと待ってよ。
ママまだ洗い物終わってないんだから。
絵本は寝る時読んであげるから。
歯磨きもしなきゃでしょ」
と私が言うと、
「ぼくまてないよぉ」
とハル。
「お願いだから言うこと聞いて。
絵本はねんねする時!」
「いやだ!いまがいい!」
「だからちょっと待ってって言ってるでしょ!
ママ1人であれもこれもやらなきゃならないんだから!」
あぁ、怒っちゃった……。
ママ友とのランチに付き合わされた上に怒鳴られるハルの気持ちなんて、考えてあげられる余裕はその時にはない。
そしてある日、その余裕のなさを露呈するように、私は他のお友達やママ友がいる前でハルを怒鳴りつけてしまったのだった。
次回は来週公開〜マタニティーライフ
ライター みらこ
3歳児に翻弄される日々を送る音楽大好きママ