
〜絵本と朝日と夕日と。第6話〜
ひどいつわりを経験することなく、至って穏やかに順調に妊婦生活を送り、無事に出産した私は、そのことをSNSで知り合いや友達に報告した。初めての出産という一大イベントに高揚していた私は、それを見たユウコがどう思ったかなど考えるより先に投稿してしまったのだった……。
2人目の壁
「ぼく、あかちゃんほしいんだ」
最近になって、ハルが時々そんなことを言うようになった。
「弟か妹が欲しいってこと?」
と私が尋ねると、
「うん、ぼく、おとうとがほしいの」
とハル。
どうしてそんなことを言うようになったかというと、いつも私たち家族に良くしてくれる近所のおばあちゃんから、ある時、
「ハルくんにも弟か妹ができるといいわねぇ」
と言われたことがあるからだ。
兄弟姉妹が当たり前にいたような頃と違って、今は、女性も社会進出していたり、経済的な理由などで1人っ子は珍しくない、という記事を読んだことがある。
でも、世代によってはそれが理解し難いところなのだろう。
結婚した当初は、『子供は?』と聞かれることが多かったけれど、1人目を出産したら今度は、『2人目は?』と聞かれることが増えるとは、想像していなかった。
ハルは、私とパパが3年待った末の待望の子供だったし、高齢での初産だったから、兄弟姉妹のことまでは考えが及ばなかった。
だからそう言われた時、私は適当に笑ってその場をやり過ごしたのだけれど、意外にもハルの中では引っかかる一言だったようだ。
ハルのお友達に弟や妹ができて会いに行ったり、遊びに連れて行ったショッピングモールや公園で、赤ちゃんを見かけては優しく接するハルを見ていると、『やっぱり2人目も考えた方がいいのかなぁ』と思うことはある。
でもパパはハルのことが可愛すぎて、『もうこの子だけで十分』という気持ちが強いようだ。
よっぽどのことがない限り怒らないし、パパのハルへの溺愛っぷりを見ていると、2人目のことはまったく考えていないのがよくわかる。
それはそれで少し寂しい気もするし、なんだか私の胸中は複雑だ。
ハルを出産した時のこと
仮にもし2人目を考えるとなると、当然のことながら、妊娠、出産、育児の道をまた1から辿ることになる。
私の場合、つわりはまったくと言っていいほどなかった。
妊娠がわかる直前に少し体調が優れなかった日が2日ほどあったことを除けば、胎動を感じるようになるまでは、本当にお腹に赤ちゃんがいるのか不安になるくらいつわりとは縁がなかったのだ。
よくテレビで見るような、突然吐き気を催して手で口を押さえてトイレに駆け込む、なんてことは、胃腸炎か飲み過ぎた時くらいしか記憶にない。
お腹にいたハルは、高齢で出産する私に辛い思いをさせないでいてくれたのかもしれない。
出産は、初産だったからかすごく時間がかかった。
ちょうど出産予定日の朝におしるしがあって、『いよいよ来たか』と思ったのだけれど、その日1日は何事もなく過ごして夜も普通に就寝した。
でも夜中から徐々に生理痛のような痛みを感じるようになって、翌日の朝には出産のために入院することになった。
それからだんだんと痛みも強くなって間隔も短くなり、お昼くらいには生まれるかもしれない、ということになったのだけれど、その後なぜか微弱陣痛になってきてしまい、せっかく駆けつけてくれた私の両親と妹は、夜になって1度帰ることを病院側から勧められた。
助産師さんからも、『今日は休んで明日の朝仕切り直しましょう』と言われたのだけれど、否応なしにやってくる陣痛の波は終わることがなく、休むなんてことは到底無理だった。
お腹の中の赤ちゃんは、そこでまた私を救うべく、その日の夜中からまた本気を出してきて、明け方には無事に生まれ出てきてくれたのだった。
その日は隣の分娩室でもお産するママがいて、夜勤の助産師さんが隣の部屋と行ったり来たりでバタバタしていた。
分娩台にいる私と、立ち会ってくれたパパと2人だけで部屋に残された時間もあって、それでもやってくる陣痛に従うべく、なんだかよくわからないままいきんでいたのは、なんともおかしな体験だった。
丸1日続いた陣痛から解放されて、やっと対面できた我が子の可愛さは言葉では言い表せなかった。
ハルの成長と共に湧き出す私の思い
その時感じた喜びを、私は普段思い出す余裕もなく過ごしている。
ハルが初めて声を出して笑った日だとか、初めて『ママ』と言った日だとか、毎日日記をつけるくらいに著しい成長を喜んで、『早く会話ができるようになったらいいな』と期待に胸を膨らませていた頃がすでに懐かしい。
今はそれなりに会話も成り立つようになって、流暢な話し言葉で反抗してくるハルに毎日イライラして、気づけばため息ばかりついている。
そしてそのイライラを、私はよくSNSに吐き出していた。
書き込むことでストレスを発散しているのもあるけれど、誰かに気づいてほしい、聞いてほしいという思いが少なからず心のどこかにあるのだ。
最初は、ハルが無事に生まれた喜びの報告をした場所であったはずなのに……。
やはり私にはハル1人で精一杯なのだ。
2人目なんて私には無理だ。
ハルには申し訳ないけれど……。
明と暗〜出産とユウコのこと
私は出産したその日、少し休んで落ち着いてから、病院のベッドで横になりながら、メールやSNSで、知り合いや友達に向けて赤ちゃんの誕生を知らせた。
すぐにも何人かの友達から祝福のコメントが届いたのだけれど、その時、ユウコのことが私の頭をかすめていた。
この出産報告の投稿を、きっとユウコも見ている。
私の妊娠がわかってから、ちょうどタイミング良く、ユウコのイラストレーターとしての活動が活発になってきていて、直接会う機会は自然となくなって正直ホッとしていた。
学生時代いつも一緒に行動して仲良くしていた上に、結婚した年も同じで、なかなか子供に恵まれないという共通点があったユウコを裏切ったような気がして、妊娠したことを伝えられなかったのだ。
そうして個人的に何の報告もしないまま、SNSを通じて複数の知り合いや友達に報告する形で、彼女にも知らせが行くことになってしまった。
ユウコはどう思っただろうか。
逆の立場だったら、私はどう思っただろうか。
案の定、出産報告の投稿をしてから、ユウコからのレスポンスが一切なくなった。
ユウコは本当に忙しくてSNSをチェックする暇がなかったのかもしれないし、私のただの思い込みだったのかもしれないけれど、多分そうではない、という私の予感は当たっていたと思う。
SNSで発信した感動と喜びが、必ずしも全員に受け入れられるとは限らない。
特にユウコには……。
私はこの先、ユウコにどんな顔をして会えばいいのだろう。
そもそも会ってくれるだろうか。
何も子供ができたことを隠さなくたって良かったのではないか。
友達なんだから、ちゃんと正直に伝えるべきだったのではないか。
我が子を出産した喜びの裏で、入院中ずっとそんなことが頭の隅でモヤモヤとしていた。
でもそれも、退院して育児という未知の世界に足を踏み入れた瞬間にどこかへ消え去ってしまっていた。
まるで、出産が終わった直後に、もう陣痛の痛みなんてすっかり忘れてしまったみたいに。
友達甲斐のない人間だ、と自分で思った。
ハルが成長していくにつれて、SNSには、喜びの記録だけではなく不満を書き連ねることも増えていった。
やりたいけれども我慢しなければならないこと、行きたいけれども行くことはできない場所……。
子供を持つことで出てくる欲求を、心の叫びとして文字に打ち出す。
それを目の当たりにして同調してくれる人もいれば、不快感を抱く人もいる。
きっとユウコは私の投稿を見て、不快に思っていたはずだ。
子供が欲しい欲しいと騒いでいたのに、いざ生まれてみたら、ああだこうだとSNSに不満を書き込んでいる。
同じ思いを抱いていた人間から見たら、身勝手だし不快に思わないはずがない。
SNSというツールを通しても、ユウコとの隔たりを私はひしひしと感じていた。
そして、それだけ心を通して繋がっている友達だったのだと気づいた。
それからは、SNSに書き込みをしようとする時、一度文字を打つものの、やはり思い直してやめる、ということが多くなった。
それでもやはり、吐き出す場所が欲しくなる時がある。
ハルと2人でいる毎日から解放されたい時だってある。
私は、他のママ友の勧めもあって、家族のために働くパパへの後ろめたさから避けていた一時保育の利用を視野に入れ始めた。
それも、あと半年頑張れば幼稚園、というタイミングで。
ここまできたら意地でも利用せずに頑張ろう、とも思ったのだけれど、野生的3歳児の育児に、私は疲れてしまっていたのだ。
そして時を同じくして久しぶりに書き込まれたユウコのSNSへの投稿には、いてもたってもいられなくなってしまうようなことが書いてあった。
次回は来週公開〜育児
ライター みらこ
3歳児に翻弄される日々を送る音楽大好きママ